BW教室
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BW教室の考え方
(飛び級クラスについて)







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BW教室・上級生のみなさんへ、その指導法


●「飛び級学習」の進め方

 「最高」という言葉は、軽々しくは、使えない。しかし私の35年の経験から、今のところ、つぎのような指導法が、最高にすぐれていると思う。

 子どもにある程度の方向性が見え、体力と知力がついてきたら、つまり精神的なタフさが身についてきたら、上級生の間にすわらせて、自習させる。子どもは、こうして上級生の勉強ぶりを見ながら、(勉強グセ)を、上級生から受けつぐ。

 この方法は、イギリスのカレッジ制度の中で、伝統的に取り入れられている方法である。教授や助教授、講師が学生に教えるのではなく、2、3年、年長の上級生が、下級生にものを教える。

 たいていは、夕食前の午後、あるいは夕食後の夜ということになるが、カレッジの中には、そのための講義室も、ちゃんと用意してある。

 ここで「体力と知力」と書いたが、それには、理由がある。

 上級生と学習するというのは、それだけでも、かなりの精神的な緊張感と負担をともなう。その緊張感に耐えられるような体力は、必要である。たとえば小学1〜3年生では、無理。へたをすれば、アカデミックな雰囲気がこわれてしまう。子どもも自信をなくしてしまうこともある。

 決して無理をしてはいけない。慎重に、子どもの様子を見ながら、判断する。

 つぎに「知力」。もともと勉強から逃げ腰の子どもには、この方法は、かえって、子どもにとって、大きな負担になってしまう。

 そこで私のばあいは、そういう学習方法を想定しながら、その数か月〜1年前から、その準備にかかる。プラスの暗示をかけながら、子どもを前向きに引っ張っていく。そして最終的には、「君は、一度、大きい人たちと、いっしょに勉強してみないか」と、誘ってみる。

 子どもはその時点で、大喜びをする。が、そういう様子を見せたら、しめたもの。あとは励ましながら、そのクラスになじませていく。

 具体的には、最初の数週間は、好きな勉強をさせる。学校の宿題でも何でもよい。「好きな勉強をしなさい」「わからないところがあったら、もってきなさい」とだけ、指示する。

 あとは、子ども自身がもつ、伸びる力に任せる。

 この方法がきわめてすぐれている点は、子どもは、自分で、自分の学習進度を決め、自分で学んでいくということ。結果的に、算数の教科書くらいだったら、1、2か月で学んでしまう。つまり1年分を、数か月で終えてしまう。

 あとはワークブックで補充したりしながら、つぎの学年へと導いていく。

 こうした方法で、現在(05)、たとえば小学4、5年生でも、中学3年生レベルの学習をしている子どもがいる。小学3年生で、中学1年生レベルの学習をしている子どもがいる。

 そのため、私の教室では、小学校の高学年では、それぞれの子どもをバラバラに編成しなおしてしまう。

 たとえば小学3年生で、8人いたとする。そういう子どもを、その子どもの特性に合わせて、それぞれ別々のクラスに入れてしまう。

 同学年の子どもを一つの教室に集めて、いっせいレッスンをするのは、教える側としては、効率もよく、楽かもしれないが、そういった教育法では、すぐ限界にぶつかってしまう。

 とくによくできる子や、とくにそうでない子どもにとっては、かえってマイナスになることが多い。

 少人数だからこそできる教育法ということになる。






教えるというよりは、子どもどうしのもつ
相乗効果を大切にします。たがいに
刺激しあって、どんどんと伸びていきます。

























【小学3、4年生からは……】

小学3、4年生になると、BWでは、それぞれの能力と、やる気に
応じて、個別レッスンに移ります。

みなで教えあい、励ましあい、助けあいながら勉強する。
そういう雰囲気を大切にしながら、子どもを指導していきます。


この子は、箱を作っています。


この子は、教科書を自分で読みながら、学習しています。


みんな、自分で、1〜5年先へと、飛び級をしていきます。


私はテーマを与え、わからないところだけを教えるようにしています。


この子は、ワークブックを自分でしています。




こうして現在(06−1月)、小3で、中1の学習を、
小6で、高1の学習をしている子どもがいます。
そういう子どもを見ながら、ほかの子どもたちも
刺激を受けて、前に前にと、進み始めます。

子どもの心を大切にしながら、指導しています。


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●古い写真

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BW教室の子どもたちの、古い
写真が出てきた。

昭和51年8月8日という日付が
あるので、1976年、私が満
28歳のときの写真である。

そこには、70〜80人近い生徒
たちが写っている。
みんな、なつかしい子どもたちで
ある。

そのほとんどが、そのあと、5〜
10年近く、私の教室に通って
くれた。

そういうこともあって、私は、その
生徒たちの名前を、1、2人を
のぞいて、すべて知っている。

そののち、どうなったかという
消息も、知っている。

私には、貴重な写真の一枚である。

「なつかしい」というより、そこに
私自身の「命」の一部を見る。

あのころの私は無鉄砲で、自信家。
日本の教育を、私ひとりで変えて
やろうと、そんなことまで考えて
いた。

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 若いころは、生徒たちをつれて、よくあちこちに出かけた。当時、「サマーイン」と呼んでいた宿泊学習も、そのひとつ。親たちも、よく協力してくれた。そんな写真が、1枚、出てきた。

 日付を見ると、昭和51年とある。1976年。私が満28歳のときのものである。その写真で、いちばん左端に、メガフォンをもって立っているのが、私。「私」というより、別人の私を見ているよう。顔などは、今とは、まったくちがう。

 で、その写真を見ながら、こう思った。「よくもまあ、今まで、無事に、こうして仕事ができたものだ」と。

 写真には、「BW教室・第1回サマーイン」とある。BW教室という名前にしてから、1回目の宿泊学習ということになる。それまでは、「林才能教室」と呼んでいた。つまりその年に、当時、主婦と生活社で編集長をしていた井上清氏のアドバイスを受けて、「BW教室」とした。井上氏は、こう言った。「林教室ではつまんないねエ。もっと、らしい名前にしないと」と。それで知恵をしぼって、「BW教室」とした。

 「Brain Work」の頭文字をとって、「BW教室」とした。

 その前後も含めると、37年もの間、今の仕事をしてきたことになる。病気らしい病気は、ほとんどしなかった。この10年は別として、それまでは、休んだことがない。台風の日だって、休んだことがない。まじめと言えば、まじめ。まじめというより、クソまじめ。

 で、その私も、今年、満60歳になる。まあ、いろいろあった。あったが、無事、今まで今の仕事をつづけることができたというだけで、ありがたい。これから先のことはわからない。このままあと10年? それとも5年? それまで元気で、今の仕事がつづけられれば、うれしい。

 そう思いながら、今も、しみじみと、その写真をみつめている。

2007年 7月30日記

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昭和51年、私が満28歳のときの写真です。
私は一番左にメガフォンをもって立っています。

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同じころ、撮った写真です。
みんな現在、40歳前後になっています(2007年)