EXPO・おまけ

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大観覧車に乗ったあと、係の人が
撮ってくれた写真です。(有料・800円)


私「これで冥土へのみやげができたね」
ワイフ「また来たいわ」
私「……またア?」
ワイフ「まだ、全部、見てないし……」
私「全部見てから、冥土へ行くのか?」
ワイフ「そうよ」
私「じゃあ、ぼくたちは、永遠に冥土へ行くことができないよ」




【愛知万博(EXPO '05)・愛・地球博】

●混雑

 朝は快晴だった。長男に、近くのJRの高塚駅まで送ってもらうと、私たちは、岡崎にむかった。途中、豊橋駅で、電車をのりかえた。3月19日、土曜日。

 (高塚駅)→35分→(豊橋駅)→30分→(岡崎駅)

 岡崎駅から、同じくJRの愛環線(愛知環状線)に乗りかえ、万博八草(やくさ)駅へ。八草は、「やくさ」と読むそうだ。岡崎から万博八草駅までは、快速で、47分ということだった(ガイドブック)。

 そこまでは、座席にすわることもでき、ゆったりとした気分で行くことができた。時刻は、午前9時少し前。万博八草駅からは、会場まで、リニモで、約2分。

 私たちは、9時少し前には、万博会場に着く予定だった。が、八草駅で、仰天! 内覧会で、入場者は限られているはずなのに、構内がぎっしりと埋まるほどの人の数。八草駅で、リニモの切符を買わねばならないのだが、発売所が、10か所程度しかない!

 そこへ、見た感じでも、数千人の人が押し寄せている。私の予想通りだった。

 前回、3月13日の開会式の式に招待されたときは、名古屋駅のほうから、地下鉄東山線に乗って、会場に向った。日曜日だったが、それでも、ふつうの都会の地下鉄並みには混雑していた。「万博が開幕したら、どうなるのだろう?」と、そんなことばかり、心配していた。

 が、今日は内覧会。招待日。「それほど多くの人は招待されていないだろう」と思って向ったが、あとで聞いたら、招待客は、5〜6万人だったという。私たちはゾロゾロと歩く行列に巻きこまれ、そこで30分間ほど、時間をムダにしてしまった。

 やっとリニモに乗れたが、会場の正面玄関を見て、二度目に、これまたびっくり。人また人で、ぎっしりと、そこは埋めつくされていた。


●入場
 
 テロを警戒するということで、金属探知機と係員による、手荷物検査がなされていた。これを1人ずつするのだから、たまらない。ゾロゾロが、ソロソロになり、さらにノロノロになった。ときどき、動きが、まったく止まってしまった。

 事情を知らなかった、中年のおじさんや、おばさんが、怒っている声も聞こえた。「お茶くらいは、いいでしょう!」「せっかく買ってきた弁当なんだから!」と。

 飲食物は、すべてゲートで没収、廃棄処分。これは食中毒を警戒するためということだった。

 これはあとでわかったことだが、そのため、会場内の飲食物の高額なことといったら、なかった。

 小さな、プラスチック容器に入ったどんぶりものが、1200円程度。私は、牛タン丼を食べたが、市中の牛丼の、値段は、4倍。その上、まずかった!

 「わざと牛タン丼にしたのは、牛丼と差別するためだよ」と私。切手のように薄い牛タンが、数枚、白いご飯の上にのっているだけ。あとのメニューも、どれも似たようなもの。

 否定的なことばかり書いていたのではしかたない。それはわかっている。しかし、そんなわけで、私の第二印象も、すこぶる、悪いものだった。(第一印象は、3月13日に書いた。)

●各国パビリオン

 全体で、20か所ほどのパビリオンを回った。それでも全体から見れば、5〜10分の1程度か。とこどころで、時間をムダにした。

 次世代交通システムというバスに乗ったのも、まちがいだった。動き出すまでに、30分以上待たされた。また動き出してからも、ノロノロ運転。歩いたほうが、ずっとはやいくらいだった。

 切符を買ったあとだったので、私たちは、おとなしく乗って待っているしかなかったが……。あんなところで、わざわざバスに乗ってみるのも、どこかバカげている。

 もちろんパビリオンへ入る前の行列で、そのつど、30分〜60分ほど程度、待たされた。途中から、そういう行列のないパビリオンを中心に回った。

 外国館のほとんどは、待ち時間なしで、入ることができた。が、たいしたものは、なかった。ほとんどが、映像と音楽。光と色。そういったもので、国を紹介していた。要するにその国の観光案内。


●楽しめばよい(?)

 娯楽なのか、教育なのか。それとも国策による啓蒙活動なのか。

 しかしこうした万博で、そんなことを考えても、意味はない。楽しめばよい。子どもの心にもどって、楽しめばよい。それでじゅうぶん。

 一つ気になったのは、たいていのパビリオンの入り口には、「プレスの方専用窓口」というのが、用意してあったこと。どこでも、マスコミ関係者は、特別あつかいだった。主催者の思惑は、よくわかるが、しかし一般の私たちには、あまり気持ちのよいものではない。

 大きなカメラを片手に、これまた大きな態度で、これ見よがしに歩き回るマスコミ関係者。待ち時間なしの特別あつかい。ペコペコと、応対する、パビリオン関係者。彼らを横目に、じっと列の中で、順番を待つ私たち……。

 いつからこうまで、カメラをもった人間がいばるようになってしまったのだろう? ……私は、ふと、そんなことを考えた。マスコミ関係者も、庶民の気持ちを知りたかったら、30分でもよいから、列の中で、カメラをもって、立ってみることだ。


●オーストラリア館

 「ぜったい行く」と決めていたのが、オーストラリア館。地図をみながら、そのオーストラリアへ行ってみた。

 ほかのパビリオン以上に、どこといって、変哲のないパビリオンだったが、入ったとたん、そのなつかしさに、心を打たれた。

 私の帽子に縫いつけたオーストラリアの国旗を、めざとく見つけて、若いオーストラリア人の男が、声をかけてきた。とたん、私の心は、あの留学時代に、タイムスリップ。思わず、「G'day」と答えてしまった。オーストラリア人独特のあいさつである。

  ガイドの女性に話しかけると、「アデレードから来ました」と答えた。「息子が、F大学に通っていました」と教えると、とたんに目を輝かせた。「F大学は、オーストラリアでも、ナンバーワンの大学です。私もその大学に通っています」と。

 ついで、みやげのオパールの話になった。オパールについては、私も詳しい。友人の1人は、そのオパールのチェーン店を経営している。説明を聞きながら、「知っている」「知っている」と心の中で、思った。しかしそれは言わなかった。

 結局、そのパビリオンの中には、一番、長くいた。みやげものも買った。パビリオンを出るとき、ワイフに、「オーストラリアへ行こうね」と声をかけると、ワイフはうれしそうだった。


●印象記
 
 「愛・地球博」と歌うくらいなら、どうして、産業展示館のようなものを、併設しなかったのか。環境保護グッズや、製品を紹介したり、並べたりする展示館である。

 たとえば太陽電池にしても、今、この分野では、日本が世界をリードしているという。風力発電でもよい。そういうものを製作している会社が、ブースを並べて、自分の会社やその製品を宣伝する。紹介する。


 ……とまあ、好き勝手なことを書いた。主催者の人は、こういう意見を聞くと、きっと、不愉快に思うにちがいない。「言うだけなら、だれにでも言えるよ」と。

 だから結論は、またまた同じになってしまう。

 「これはお祭り。浜松の凧(たこ)祭りと同じ、お祭り」と。

 深い意味を考えたところで、その答はかえってこない。みなが、そのときを、それなりに楽しめば、それでよい。楽しみながら、何かをつかむ。つまるところ、そういうことになる。

 で、今日は、その2日目。もう少し日をおいて、万博について、再び、書いてみたい。ところで今日、ワイフに「また、行ってみたいか?」と聞くと、ワイフは、こう言った。「行くわ。ぜんぶ見たいから……」と。

 ワイフの行動力には、本当に、頭がさがる。いつでも好奇心満々といったところ。「若い妻をもつと、夫も苦労するよ」と言うと、さらにうれしそうに笑った。本当はx歳しか、年は離れていないのに……。

 さらに昼飯が終わると、ワイフはこう言った。「あなた、今日ね、浜松市内で、がんこ祭りをやってるんだってエ」と。どこか行きたそうな様子だった。「ああ、そう」と言って、私は自分の部屋に逃げ帰った。まだ足の筋肉のあちこちが、痛かった。昨日は、よく歩いた。


(05年3月20日・記)