はやし浩司・Hiroshi Hayashi(1)
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みなさんへの、ごあいさつ

こんにちは! はやし浩司の書斎へ、ようこそ!

雑誌をお読みになるつもりで、このコーナーを、お楽しみください。

随時、内容を改変していきます。(041017)

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孫の誠司(Sage)です。
2002年8月20日生まれ
 満6か月ごろの写真です。


子どもは人の父
2011−08ー02
●子どもの心とその形成期
 ==子どもの心は、いつどのように作られるか==


【乳幼児期・信頼関係の構築期】(0歳〜2歳前後)

●基本的信頼関係

 幼児の心は、段階的に形成されていく。混然一体となり、一次曲線的に形成されていくのではない。たとえば0歳から2歳ごろまでの乳幼児期。エリクソン(※1)という学者は、この時期を「信頼関係の構築期」と位置づけている。信頼関係…つまり母子の間における信頼関係をいう。
 この信頼関係の構築に失敗すると、いわゆる心の開けない子どもになる。さらにひどくなると、情意(心)と表情が、一致しなくなる。指導する側から見ると、「何を考えているか、わからない子ども」ということになる。これは子どもにとっても、不幸なことである。良好な人間関係を結べなくなる。そのためいつも孤独感にさいなまれるようになる。
 そこでその子どもは、外の世界で友を求める。しかし心が閉じているから、外の世界になじめない。その分だけ精神疲労を起こしやすい。ときに傷つく。それを繰り返す。
そうした心の状態を、ショーペンハウエルという心理学者は、『2匹のヤマアラシ』という言葉を使って説明した。
 2匹のヤマアラシ…ある寒い夜、2匹のヤマアラシは、たがいにくっついて暖を取ろうとした。が、くっつきすぎると、たがいの針が痛い。離れると寒い。だから2匹のヤマアラシは、一晩中、くっついたり離れたりを繰り返した。

●2匹の犬

 私はこのことを、2匹の犬を飼って知った。1匹は、保健所で処分される寸前の犬。これをA犬とする。人間でいうなら、育児拒否、冷淡、無視、虐待を経験した犬ということになる。

もう一匹は、超の上に超がつく愛犬家の家で生まれ育った犬。私の家に来てからも、しばらくは、私は自分のふとんの中で抱いて寝た。これをB犬とする。
 2匹の犬は、性格がまったくちがった。A犬は、だれにも愛想がよく、シッポを振った。そのため番犬にはならなかった。おまけに少しでも目を離すと、家の外へ。道路で見つけても、叱られるのがこわいのか、私からサーッと逃げていった。
 一方B犬は、忠誠心が強く、他人が与えた餌には口をつけなかった。私の言いつけもよく守った。もちろん番犬になった。見知らぬ人が庭へ入ると、けたたたましく吠えた。
 A犬と私の間には、最後まで信頼関係は構築できなかった。一方、B犬と私は、最後まで深い信頼関係で結ばれていた。

●性格

 が、それだけではすまない。心は性格として定着する。「私」がない分だけ、自分を偽る。仮面をかぶる。おとなにへつらったり、相手の機嫌を取ったりする。おとなの前で、いい子ぶったりする。イプセンの『人形の家』の主人公を例にあげるまでもない。
 …ということで、この時期は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を大切にする。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。つまり子どもの側からすれば、「どんなことをしても許される」という安心感。母親側からすれば、「どんなことをしても許す」という包容力。この2つがあいまって、はじめて母子の間の信頼関係が構築される。が、不幸にして不幸な家庭に育ち、信頼関係の構築に失敗すれば、基本的不信関係となり、生涯に渡ってその子どもは、重い十字架を背負うことになる。

●親子の絆

 親子の絆にしても、そうだ。最近の研究によれば、人間にも、刷り込み(インプリンティング)(※3)に似たようなものがあることがわかってきた。孵化してすぐ二足歩行を始める鳥類は、最初に見たものや聞いたものを親と思い込む。それを刷り込みというが、そのとき親子の絆は、本能に近い部分にまで刷り込まれる。
 人間のばあい、生後0か月から7か月前後までが、その時期とされる。この時期を「敏感期」と呼ぶ学者もいる。この時期における親子の絆作りがいかに重要かは、このひとつをとっても、わかる。

●子どもを愛せない母親

 その一方で、子どもを愛することができないと、人知れず悩んでいる母親も多い。東京都精神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、7%もいることがわかっている。そして「その大半が、子どもを虐待していることがわかった」(同、総合研究所調査・有効回答500人・2000年)。
 私が同時期に浜松市で調査したところ、「10%」という数字が出てきた。程度の差もあるが、「兄は愛せないが、妹は愛せる」という母親も含めると、10%になる。
 また虐待についても、約40%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているという。(妹尾栄一調査)。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの17項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときどきある……1点」「しばしばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、「虐待なし」が、61%であったという。
 母親だから子どもを愛しているはずと決めつけて考えてはいけない。

●世代連鎖

 ついでながら、虐待について一言。『子育ては本能ではなく、学習である』。とくに人間のような高度な知能をもった動物ほどそうで、親に育てられたという経験が身にしみていてこそ、今度はその子どもが親になったとき、自然な形で子育てができるようになる。あるいは親から受けた子育てを、そのまま繰り返す。これを「世代連鎖」という。
 つまり子育てとは、子どもを育てることではない。子どもに子育ての仕方を見せる。見せるだけでは足りない。しみこませておく。「家族というのはこういうものですよ」「夫婦というのは、こういうものですよ」「親子というのはこういうものですよ」と。
 それがよい世代連鎖であれば、問題はない。が、そうでなければそうでない。たとえば昔から『離婚家庭で生まれ育った子どもは離婚しやすい』と言う。
 「離婚が悪い」と書いているのではない。離婚率も今や35%(平成19年)に達している。(25万件(離婚届数)を72万件(結婚届数)で割ってみた。)離婚そのものは、子どもの心にはほとんど影響を与えない。離婚に至る家庭騒動が、影響を与える。どうか誤解のないように!
 とくに世代連鎖しやすいのが虐待ということになる。親が子どもを虐待するのはしかたないとしても、今度はその子どもが自分の子ども(孫)を虐待するようになる。それを見て、そのとき親が、「しまった!」と気づいても遅い。つまり虐待はしない。

●心の病気の(種)も乳幼児期に

 さらに心の病気についても、その(種)は、乳幼児期に作られると説く学者もいる。たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、『母親から保護される価値のない、自信のない自己像』(※4)を形成すると説く。
 さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。それが成人してから、うつ病につながっていく(同氏)、とも。

●自己中心性

 この時期の幼児の特徴を一言で表現すれば、「自己中心性」ということになる。ものごとを、(自分)を中心にして考える。「自分の好きなものは、他人も好き」「自分が嫌いなものは、他人も嫌い」と。
 それがさらに進むと、すべての人やものは、自分と同じ考え方をしているはずと、思いこむ。自然の中の、花や鳥まで、自分の分身と思うこともある。これをピアジェは、「アニミズム」と名づけた。心理学の世界では、物活論、実念論、人工論という言葉を使って、この時期の子どもの心理を説明する。
 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。風にそよぐカーテン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きていると考える。……というより、生物と、無生物の区別ができない。
 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考える心理をいう。ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、心の中でそれを念ずることで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外の世界の区別ができない。
 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつくられたと考える心理である。人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。ある子どもは、母親に、月を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そういう心理は、乳幼児の人工論によって、説明される。
 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されていく。しかしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには青年期を迎えることがある。

●原始反射

 なお乳児と幼児は、必ずしも、連続的につながっているわけではない。たとえば、赤ちゃんには、赤ちゃん特有の、反射的運動がある。これを「原始反射」と呼ぶ。この原始反射の多くは、生後3〜4か月で、消失してしまうことが知られている。その原始反射には、つぎのようなものがある(心理学用語辞典より)。

(1)把握反射
(2)バビンスキー反射
(3)モロー反射
(4)口唇探索反射
(5)自動歩行反射
(6)マグネット反射

 把握反射というのは、手のひらを指などで押すと、その指を握ろうとする現象をいう。バビンスキー反射というのは、新生児の足の裏を、かかとからつま先にかけてこすると、親指がそりかえり、足の指が開く現象をいう。赤ちゃんの胸の前に何かをさし出すと、それに抱きつくようなしぐさを見せることをいう。ドイツのモローによって発見されたところから、モロー反射と呼ばれている。口唇探索反射というのは、赤ちゃんの口のまわりを指などで触れると、その指を口にくわえようとする現象をいう。自動歩行反射というのは、脇の下を支えながら、右足に重心をかけると、左足を前に出そうとする。これを繰りかえしていると、あたかも歩いているかのように見えることをいう。マグネット反射というのは、両脇を支えて立たせると、足が柱のようにまっすぐになる現象をいう(以上、同書より要約)。

 これらの現象は、短いので、生後2〜4週間で、長くても、8〜10か月で消失すると言われている。で、こうした現象から、つぎの2つのことが言える。

 ひとつは、乳児が成長して、そのまま幼児になるのではないということ。赤ちゃんには、赤ちゃん特有の成長過程があり、その期間があるということ。もうひとつは、いわゆるネオテニー進化論の問題である。要するに、人間は、未熟なまま誕生し、その未熟さが、こうした現象となって、現れるのではないかということ。本来なら、こうした原始反射といったものは、母親の胎内で経験し、誕生するまでに消失しているべきということになる。つまりわかりやすく言えば、人間は、その前の段階で、誕生してしまうということになる。

 ご存知の方も多いと思うが、人間は、(ほかの動物もそうだが)、母親の胎内で、原始の時代からの進化の過程を、一度すべて経験するという。初期のころには、魚のような形にもなるという。その一部が、誕生後も、こうした原始反射となって現れるとも考えられる。

【幼児期前期・自律期】(2〜4歳児)

●マシュマロテスト

 1960年代に、スタンフォード大学で、たいへん興味深いテストがなされた。「マシュマロテスト」というのが、それである。そのテストを、同大学のHPより、そのまま紹介させてもらう。

『…スタンフォード大学の附属幼稚園で、4歳児を対象に、マシュマロテストと題したつぎのような実験がおこなわれた。実験者が4歳児に向って、「ちょっとお使いに行ってくるからね、おじさんが戻ってくるまで待ってくれたら、ごほうびに、このマシュマロを2つあげる。でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロ1つだけだよ。そのかわり今すぐ食べてもいいけどね」と。
 その間、約20分。最後までガマンして、ごほうびにマシュマロ2個をもらった子どもと、そうでない子どもに分かれた。その4歳児を追跡調査した、興味ある結果が出てきた。
 マシュマロ2個の子どもは1個の子どもに比較して、高校において、学業面ではるかに優秀で、社会人になってからも高い社会性を身につけ、対人能力にも優れ、困難にも適切に対処できる人間になっていた…』(同サイト)と。

 ダニエル・ゴールマンは、自著「EMOTIONAL INTELLIGENCE」の中で、この実験をつぎのように結んでいる。いわく、「明日の利益のために、今の欲望を我慢する忍耐力は、あらゆる努力の基礎になっている。きたるべき報酬を予期することで、現在の満足を得ながら目標に向って長期にわたって努力しつづける持続力には、忍耐を要する」(同サイト)と。

●決定的な差

 この実験を少し補足する。この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡調査がなされている。
 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個受け取ったグループの間で、決定的な差が生じたことは先に書いたとおりだが、情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT(大学進学適正試験)(※2)で、もう一方のグループに200点以上もの大差をつけたという(植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社))。

●忍耐力

 よく誤解されるが、この時期の子どもにとって、忍耐力というのは、「いやなことをがまんしてする力」のことをいう。一日中、サッカーをしているからといって、忍耐力のある子どもということにはならない。好きなことをしているだけである。ためしに子どもに、台所のシンクにたまった生ゴミを手で始末させてみるとよい。背が届かなければ、風呂場の排水口にたまった毛玉でもよい。そういった仕事を、何のためらいもなく、ハイと言ってできれば、その子どもはすばらしい子どもということになる。
 もちろんこのタイプの子どもは、学業面でも伸びる。というのも、もともと(勉強)には、ある種の苦痛がともなう。その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。

●自律期

 エリクソンは、この時期を「自律期」と呼んだ。この時期を通して、幼児は、してよいことと、してはいけないこと、つまり自分の行動規範を決める。前回教えたこととちがったことを言うと、「ママは前にこう言ったじゃない」と抗議したりする。「幼稚園の先生はこう言った」と言って、親をたしなめるのも、この時期の子どもの特徴である。それが正義感へとつながっていく。
 そのためこの時期をとらえ、うまく指導すれば、あと片づけのしつけがたいへんうまくいく。花瓶の位置がずれていただけで、それが気になり、元の場所に戻そうとする。そうでなければそうでない。行動そのものが衝動的になり、生活態度そのものが、だらしなくなる。

●では、どうするか

 子どもの忍耐力を養うためには、「使う」。家庭の中に、ある種の緊張感をつくり、その緊張感の中に巻き込む。「自分がそれをしなければ、家族のみなが困る」という意識をもたせるようにする。親がゴロゴロと寝ころんでいて、子どもに向かって、「おい、新聞をもってこい」は、ない。
 ついでながら、この日本では、子どもに楽をさせること、あるいは楽しませることが、子どもへの愛の証であると誤解している人は多い。あるいはより高価なプレゼントをすればするほど、親子の絆は太くなると誤解している人も多い。しかし誤解は誤解。そんなことを繰り返せば、子どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。やがて手がつけられなくなる。
 そこでイギリスでは、こう言う。『子どもの心をつかみたかったら、釣り竿を買ってやるより、いっしょに、釣りに行け』(イギリスの教育格言)と。

【幼児期後期・自立期】(4〜5・5歳児)

●暴言

 この時期の子どもの特徴は、生意気になること。親が「新聞を取ってきて!」と頼むと、「自分のことは自分でしなと言い返したりする。生意気になりながら、自立をめざす。
 で、子どもの自立を促す3種の神器、それが(1)ウソ、(2)暴言、(3)盗み。
 ウソについては、2歳前後から始まる。ウソ寝、ウソ泣きがそれである。
 つぎに暴言。自立期に入ると、親の優位性を打破しようと、子どもは親に向かって暴言を吐くようになる。「ババア」「ジジイ」「バカ」など。暴言を許せというのではない。暴言を言えないほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。適当にあしらい、あとは無視する。私のばあい、つぎのような方法で、幼児を指導している。

私「……もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて!」
私「でも、この言葉は、使ってはいけないよ。園長先生とか、お父さんに言ってはだめだよ」
子「わかった。約束する」と。

 そこで私はおもむろに、こう言う。「ビダンシ(美男子)」と。それ以後幼児たちは、喜んでその言葉を使う。私に向かって、「ビダンシ、ビダンシ!」と。
 盗みについても、同じように考えるが、子どもの金銭感覚(ふえた、減った、得した、損した)は、年長児から小学2年生ごろまでに完成する。この時期に、欲望を金銭で満たす方法を覚えると、あとがたいへん。幼児期には100円で喜んでいた子どもでも、高校生になると1万円、さらに大学生になると10万円になる。
 さらに脳の中(線条体)に受容体ができると、条件反射的にものをほしがるようにになる。買い物依存症がその一例ということになる。必要だからそれを買うのではない。欲しいからそれを買うのでもない。(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。
 話しが脱線したが、盗みについては、それが悪いことということを、時間をかけ、ゆっくりと説明する。激しく叱ったり、怒鳴りつけたりすれば、子どもは、いわゆる「叱られじょうず」になるだけ。いかにも反省していますという様子だけを見せ、その場を逃れようとする。もちろん説教としての意味はない。

●引き出す(educe)

 が、ここでも誤解してはいけないことがある。この時期、「自立心」は、どの子どもにも平等に備わっている。そのため自立心は育てるものではなく、引き出すもの。が、かえってその自立心をつぶしてしまうことがある。親の過保護、過干渉、溺愛である。とくに過干渉が、こわい。
 親の威圧的、暴力的、権威主義的な育児姿勢が日常化すると、子どもはいわゆる「過干渉児」になる。子どもらしいハツラツとした伸びやかさを失い、暗く沈んだ子どもになる。発達心理学の世界には、「萎縮児」という言葉さえある。最悪のばあいは、精神そのものが萎縮してしまう。
 (その一方で、同じ家庭環境にありながら、粗放化する子どももいる。親の過干渉にやりこめられてしまった子どもが萎縮児とするなら、それをたくましくやり返した子どもが粗放児ということになる。兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースは、よく見られる。)

●原因は母親

 原因のほとんどは、母親にある。子育ての不安が、母親をして過干渉に駆り立てる。が、簡単に見分けることができる。

私、(子どもに向かって)、「お正月にはどこかへ行ってきたの?」
子「……」
母、(それを横で見ていて)、「おじいちゃんの家に行ったでしょ。行ったら、行ったと言いなさい」
子「……」
私、(再び子どもに向かって)、「楽しかった?」
子「……」
母「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい」と。

 子どもの心の内容まで、母親が決めてしまう。典型的な過干渉ママの会話である。

●過保護と溺愛

 過保護といってもいろいろある。食事面の過保護、行動面の過保護など。何か心配の種があり、親は子どもを過保護にする。「アレルギー体質だから、食事面で気をつかう」など。
 しかし何が悪いかといって、精神面での過保護ほど、悪いものはない。「あの子は悪い子だから、あの子とは遊んではだめ」「公園にはいじめっ子がいるから、ひとりで行ってはだめ」など。
 子どもを、厚いカプセルで包んでしまう。で、その結果として、子どもは過保護児になる。いつも満足げで、おっとりしている。が、社会性がなく、ブランコを横取りされても、それに抗議することもできない。そのまま明け渡してしまう、など。だから昔からこう言う。『温室育ち、外ですぐ風邪をひく』と。
 また溺愛は、「愛」ではない。たいていは、親側に精神的欠陥、情緒的未熟性があって、親は子どもを溺愛するようになる。つまり自分の心のすき間を埋めるために、子どもを利用する。
 ある母親は、毎日幼稚園の塀の外で、子どもの様子をながめていた。また別のある母親は、私にこう言った。「先生、私、娘(年長児)が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしいです。一日中、看病できると思うと、うれしいです」と。
 親の溺愛が度を越すと、子どもの精神の発育に大きな影響を与える。子どもはちょうど、飼い主の胸に抱かれた子犬のようになる。だから私はこのタイプの子どもを、「ペット児」(失礼!)と呼んでいる。飼い慣らされた子犬のように、野生臭が消える。

●臨界期

 それぞれの発達段階には、臨界期がある。言葉の発達、音感や美的感覚の発達などなど。それぞれの時期をはずすと、指導がたいへんむずかしくなる。あるいは努力の割には、効果があがらない。心についても、そうである。
 たとえば自立期に入った子どもに、「自律」を教えようとしても、たいてい失敗する。先に書いた、あと片づけのしつけも、そのひとつ。
 で、幼児期後期で、一度、精神が萎縮してしまうと、以後その改善は、きわめてむずかしい。『三つ子の魂、百まで』というが、それがそのままその子ども(=人)の人格の「核(コア)」になる。言い換えると、この時期を過ぎたら、子どもの心はいじらない。「この子はこういう子である」と認めた上で、教育を組み立てる。へたにいじると、自信なくしたり、自己評価力の低い子どもになってしまう。

【児童期・勤勉性の構築期】(5・5歳〜)

●日本人の勤勉性

 3・11大震災が起きたときのこと。栃木県にあるH自動車栃木工場の操業が不可能になってしまった。天井が落下した。その直後、この浜松市から250人もの応援部隊が、栃木工場に向かった。
 一方、栃木工場にいた設計士たちは、浜松近郊の関連会社へ来て、仕事をつづけた。また被災地においても、ほかの国であるような、略奪、暴動などは、起きなかった。日本人が培った勤勉性、つまり(組織的なまじめさ)は、災害時においても、いかんなく発揮された。
 こうした勤勉性は、言うまでもなく、学校教育によって育まれる。いろいろ問題点がないわけではない。世界のすう勢は、自由教育。EUでも、大学の単位は共通化された。アメリカでは、ホームスクーラー(日本でいうフリースクールに通う子ども)が、2000年には100万人を超えた。現在、推定で200万人はいるとされる。ドイツでは、午前中は学校で、午後はクラブでという教育形態が、ふつうになっている(中学生)。カナダでは、学校の設立さえ、自由である。
 日本もその方向に向かいつつはあるが、ともかくも、勤勉性の構築という点では、日本の学校教育には、すぐれた面も多い。この(まじめさ)をさして、ある欧米の特派員は、こう書いた。「これこそまさに日本人の美徳」と。この言葉に異論はない。

【青年期・同一性の確立期】(12歳〜)

●同一性の確立

 児童期のあと、子どもは思春期前夜(精神的に不安定になる)、思春期へと進んでいく。この時期の、言うまでもなく最大かつ最重要の課題は、「同一性の確立」である。
 「私はこうありたい」という(自己概念)。「現実に私はそれをしている」という(現実自己)。この両者が一致した状態を、「同一性」という。
 児童期の勤勉性と同一性の確立について、エリクソンは、別個のものと考えているようだが、実際には、両者の間には、連続性がある。子どもは自分のしたいことを発見し、それを夢中になって繰り返す。それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)を一致させながら、自我の同一性を確立していく。
 自我の同一性の確立している子どもは、強い。どっしりとした落ち着きがある。誘惑に対しても、強い抵抗力を示す。が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりんの状態」になる。心理的にも、たいへん不安定となる。非行にも走りやすい。その結果として、つまりその代償的行動として、さまざまな特異行動をとることが知られている。
 たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい自分を演じて、みなの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型(集団の中で子分として地位を確立する、非行補助)など。
 もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。「タバコを吸ってみないか?」と声をかけられると、「うん」と言って、それに従ってしまう。断ることによって仲間はずれにされるより、そのほうがよいと考えてしまう。
 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正されたりということは、ほとんどない。

●夢と希望、そして目的

 ただ残念なことにこんな調査結果もある。
子どもを伸ばす、三種の神器といえば、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を終える子どもは、男子で30%、女子で35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。
 が、これではいけない。自我の同一性どころではないということになる。子どもの夢を大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心得る。

【終わりに……】

●『子どもは人の父』(ワーズワース)

 このように現在、幼児教育が、教育の分野のみならず、医学(大脳生理学)、心理学の3方向から、見直され始めている。「幼児だから幼稚」「子どもだから幼稚」という偏見と誤解が、いまだにのさばっているのは、残念としか言いようがない。むしろ事実は逆。
 幼児時代を「幹」とするなら、それにつづくもろもろの時代は、その「枝葉」にすぎない。かつてイギリスの詩人、ワーズワース(1770〜1850)は、こう歌った。

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
 私が子どものころも、そうだった。
 人となった、今もそうだ。
 願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
 子どもは人の父。
 自然の恵みを受けて、それぞれの日が
 そうであることを、私は願う。

 つまり『子どもは、人の父(A Child is Father of the Man)」と。この言葉のもつ重みを、もう一度、心にしっかりと刻みたい。

注※1 エリクソン…エリク・ホーンブルガー・エリクソン(1902−1994)は、発達心理学者、精神分析家。「アイデンティティ(自我の同一性)」の概念を提唱したことで知られる。ここではエリクソンの心理発達段階論を取りあげた。エリクソンは、心理社会発達段階について、幼児期から少年期までを、つぎのように区分した。(1)乳児期(信頼関係の構築)(2)幼児期前期(自律性の構築)(3)幼児期後期(自主性の構築)(4)児童期(勤勉性の構築)(5)青年期(同一性の確立)
注※2 SAT…Critical Reading、Writing、Math が、それぞれ200点から800点の表示、合計2400点満点で評価される。
注※3 インプリンティング…(すりこみ imprinting)とは、刻印づけのこと。コンラート・ローレンツの研究で世界に知られるようになった。
注※4 九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)

はやし浩司(ひろし)
1947年生まれ。金沢大学法学部、メルボルン大学法学院研究生、三井物産社員を経て、幼稚園講師に。幼児教育歴40年(2011年)。30冊以上の著書と百科事典の編集など。ほかに東洋医学の著書5冊、宗教論の著書5冊など。現在静岡県浜松市在住。BW教室主宰。











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